斉藤 京二 |
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さいとう きょうじ |
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元MA日本キック連盟ライト級・元全日本キックボクシング連盟ライト級チャンピオン |
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戦績 64戦45勝(28KO)17敗2分 1976.9.11デビュー |
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生年月日 1955.12.1 山形県出身 A型 身長172cm |
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選手へ一言 |
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ファンの皆様へ |
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今ではいつもニコニコしているやさしい会長ですが、現役当時の試合への心構え、気合いの入れようはもの凄いものがありました。 (特に試合前は殺気が漂い怖くて近寄れなかった) 会長の現役時代、ピンチに陥っても決してあきらめない強い心、強烈なローキック、必殺の左フックでKOの山を築きたくさんのファンがいました。 現在も自分より体格の大きい練習生相手に相撲をとり豪快にぶん投げる姿や、遊びでも勝負となると真剣勝負で勝てば心から喜び、負けると本気で悔しがる・・・といった所がさすが勝負師と思わせます(笑)。 ジムでは、選手・練習生達の事を第一に考えバックアップしてくださいます。 2007年NJKFの理事長に就任し、ますます多忙の毎日ですが、キック界発展の為、そして選手の為に尽力してくださっております。 |
管理者が勝手に選んだ |
VSリシャールシーラ(1987.9.5) 全日本キックが復興し、タイ・オランダ・フランス・イギリス・アメリカ・メキシコ等豪華に海外のトップの選手を呼びまくって国際戦を華々しく行っていた頃、その海外の選手に日本人がことごとく敗れ、日本人最後の砦と期待された会長が対戦したのは、サバット(フランスの国技)の王者で、当時フランスの英雄であった 「リシャール・シーラ」との一戦。 その頃シーラは数年負け知らずで、パンチ・キックどれをとってもスピード・威力満点で、前半ダウンを奪われ、超満員の後楽園ホールの観客は会長が倒されるのも時間の問題か?日本全滅・・・と徐々にあきらめムードが広まり、会長が攻撃を受けるたびにため息にもにた歓声が聞こえ始めた6R(6Rだったとおもう、 この試合はWKAルール2分12Rであった)、勝負を捨てることなく勝ちを信じて打ち続けた会長の起死回生の必殺左フックが炸裂!この一発でシーラはフラフラになり後退、勝負とみた会長が一気に攻め込み、最後はパンチ・ロー連打からストレートで ダウンを奪う。何とか立ち上がるももはや戦える状態ではなく夢遊病者のように自分のコーナーに歩いて戻るシーラ・・・そこでレフェリーがストップ! 管理者も当時二階席から見ており大興奮し叫んでいました。まさに会場が一つになった気持ちでした。 その後会長はフランスの英雄をKOしたという実績を買われ、シーラの持つタイトルに挑戦する為、フランスへ乗り込みリマッチを行い、ダウンを奪うも、地元ひいきの判定に泣かされタイトル奪取はなりませんでした。 その後シーラは「Mr.SAITOとはもうやりたくない」と引退してしまいました。 ・・・・この激戦から10年近く経って・・・リシャール・シーラ氏がサバットを広める為に来日した時「是非SAITOに会いたい」とわざわざジムに訪ねて来てくれたそうです・・・。 まさに真剣勝負を行った者同士が国境を越え分かり合える男同士の友情ですね・・・(カッコええです)。 ジムのホワイトボード貼ってある、会長とシーラが肩を組んで写っている写真がまさにそれです。 ビデオも貸し出ししてありますので、会員の方は是非ご覧ください。 会長は凄い選手だったんですよ! |
写真は2003.1.19丸山選手のタイトルマッチ時 タイトルマッチにはこの格好で・・・と以前からの丸山選手の希望に答え三蔵法師の格好で青コーナーで見守ってくださいました。 金と銀で衣装の色が違うが別に着替えた訳ではないです(照明です) (写真提供:北原選手)
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過去のフルコン誌より 会長の長髪時代の貴重な一枚(みえん・・・)
2007年 NJKF理事長に就任 挨拶