デビューを勧められたのは24のとき。
会社を辞めてキック界入りを決意。

最初は選手になる気なんて全然なくて、会社づとめで運動不足になったからその解消と、サンドバックを叩いたりするのが、ストレス解消になりそうだなって思って始めた、ただの練習生でした。それがある日、会長から「練習試合に出てみるか」って声をかけられて、何試合かやってみたら面白かったんですね。そしたら今度は「プロテスト受けてみろよ」って勧められたんです。


これは結構悩みましたね。よくライセンスを取ってそれで終わりって人いるじゃないですか。でも、ボクはそういうのは嫌だったんですよ。ジムには高津先輩とか凄くがんばっている選手がいっぱいいるのに、ライセンスを持っているだけでプロだって言うのは違うだろうって思ったんですよ。だからライセンスを取るんだったらデビューをしたいなって思っていましたからね。

そんなとき、大学時代からの友達の土屋ジョー君の存在は大きかったですね。ボクたちが仕事をしている間に、彼はもう選手だったんですけど、ものすごく練習をして、強くなって結果を出していて、恰好いいなって思ってたんですよ。だから自分も体ひとつでのし上がっていって、有名になるっていのもいいなぁって。それにこのとき24歳だったんで、やるならこれがラストチャンスだったんですよね。それで、まぁいろいろ考えて選手になろうって決めて、会社を辞めてプロテストを受たんですね。ボクは器用じゃなから、仕事しながら練習は無理だな、どっちつかずになっちゃうなって思ったんで。


両親を説得するのがすごく大変でしたよ。未だにできてないですけどね(笑)。デビューして何戦かしましたけど、「すぐ辞めろ、すぐ辞めろ」って言われて。2戦目が終わってから池袋に引っ越してくるまでは、実家で生活するのもキツイような感じで暮らしていましたね。

長い3回戦時代に身に付けたこと。
それは選手として負けを乗り越える強さ。

3回戦で記憶に残っているのは……ボブ藤井選手とは2回闘って両方負けちゃってるんですよね。最初の試合は盛り上がったし、理事長賞とかいただいたんですけど、ボク自身はそんなに…って感じです。それよりも、ボクが勝った試合でウィラサクレックのシンゾー・バーンソンホン戦が記憶にありますね。始めてダウンとか取って「あぁ、勝ったな」って感じがした試合ですね。

3回戦時代は長かったですね、負けてばっかりだったんで(笑)。3戦目ぐらいかなぁ…、負けがバンバンバンと3回続いたことがあったんです。このときは「あぁ、やばいなぁ」って思いましたね。そんなときに、高津先輩にココ(取材をした池袋の小次郎ラーメン)に連れてきてもらって、話を聞いてもらったり話をしてもらったりしたんですよね。


それで練習に行くと、みんなが「また一緒にやろうぜ」とか、声をかけてくれたんですよ。相談とかはとくにしなくても「またやろうぜ」って。キックの中で勝ち負けなんて当然生まれてくる事だし、1回負けたからって選手としてどうこうって問題じゃない。それを乗り越えて強くなっていくだって、そんなことを自然とジムの雰囲気から教わりましたね。

今でも負ければ「どうしよう…」って思いますけどね。それを肥やしにするというか、そこからまたやる気を引き出してやっていけるようになりました。悔しさは忘れずに、その「悔しいな」って思いをやる気に変えるようにしています。

平吹戦で5回戦昇格を決める。

平吹さんってサウスポーで、ボク自身サウスポーに対する苦手意識があったし、巧い選手だって思ってたんで闘う前は「どうかなぁ」って思いがあったんです。実際、試合中は勝ったなとは思いませんでしたね。もしかしてドローかな…とは思ったんですけど。だから試合自体は自分ではそんなに…。でも勝てたことは嬉しかったですね。5回戦うんぬんじゃなくて。

それからしばらくして、会長から「丸山、5回戦に上がれるぞ」って言われたんです。さっきも言いましたけどボクは負けが多かったんで、5回勝っても5回戦には上がれないんじゃないかなって思ってたんで、それは嬉しかったですね。でも、やっぱり不安はありましたよ。5Rはスタミナのこともありますし、肘うちも使えるようになりますから。未知の世界があったんで、これはやっぱり怖いなって思いました。

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