〜昼間部の建物探訪 〜
OGUNI-GYM古きを訪ね
  旧小国ジムを訪ねて

 

2003.11.16 CASS興業時、準備も一段落し、以前から密かに考えていたある計画を実行した。
以前からCASS興業時に実行しようと思ったのだがなかなか時間が取れず今回に至ってしまった。
で、昼休み中・・・昼ご飯を早めに切り上げ
旧小国ジムのあった場所へと向かう・・・。
場所は以前管理者記でも書いたが、場所には東武東上線の上板橋と都営三田線の志村三丁目駅の間に位置する。

CASSから昔の記憶を頼りに歩いたが、もう到着するだろうと思ったがなかなか目当ての建物が見えてこない・・・こんなに遠かったっけ?まさかいつもの方向音痴か記憶違いか・・・とだんだんと不安になりつつ次第に歩く速度が速くなってくる・・・・。
「ここだ!」と思い曲がったが行き止まりの道だった等お約束をしながらも何とか到着・・・。
三角ジムと言われる所以通りまさに三角(正確には台形か)

ジム周辺には何故か数台の車が・・・。
町でよく見かける事のある車だ

そして旧小国の建物に到着・・・。
以前(2年ほど前)に通ったときは練習生募集の看板があったっけ(笑)。その時は夜で、この建物 の外観・・・中は真っ暗だったので明らかに「何か」出そう・・・な怪しい雰囲気を漂わせていた。

建物自体は変わりは無いが、ご覧の通りツタが巻き付いており、なにやら怪しい雰囲気・・・。

昔はすぐ後ろは駐車場だった今は家が建っとる・・・。

写真ではよくわからないが閑静な住宅街の真ん中に位置していた。
以前ゴング用のブザー(現在もジムで使用・・・だいぶガタきているけど)の電源を切り忘れ、苦情が出たこともあったなあ。
・・・そりゃそうだわな、一晩中・・・3分経って「ブー」・・・一分経って「ブー」・・・・・・・が延々と繰り返されたらえらい迷惑だ・・・。


三角の細い方側から見た建物写真

2階建、余った土地を有効利用した日本の土地不足事情を解消した非常に画期的な建物である(当時としてはかなり先端を行っていたのではないか・・などと言ってみる)
しかし・・・・いい加減看板はずしてよ・・・。
(当たり前だが電話は現在使われておりません)
昔は向かって右の消化器入れに鍵を隠しており、夕方練習に行くと知らない近所の子供がジムの中に入っていたという事も・・・。
シャワーをつける前は水道のみしか使用できず、夏などは練習後道路に出て水浴び等をしたこともあったな・・・。(冬は当然無理)

今回探訪時はドアが開いており、中から物音が聞こえる・・・。
「?」と思い一瞬躊躇したが、せっかく来たのだから中に入る・・・、
すると・・・。
ジム入ってすぐ

数名の若い衆がなにやら仕込みの真っ最中であった。
「すみません」と声をかけると。
突然のアビT着たあやしい男(自分の事・アビT=AVIS Tシャツ)の訪問に訝しげの表情でこちらを見ている。
「以前ここがキックのジムだった頃に居た者ですが、中の写真を撮らせて頂けないでしょうか?」
と言ったがあまり理解をしていない様子。
奥からもう一名が出てきたので同じ事を言うと。
若い衆:「ああ、どうぞ、今は見る影も無いのでそれでも良かったら・・・」
私:「はい、その見る影ないのを撮りたいんです・・・」
そこで外に止めてあった車と過去の記憶が繋がった・・・。
そういえばジムの先輩(元MAフェザー級チャンピオン・現キングジムトレーナー)であった青山 隆先輩がクレープ屋をやっていた な・・・(昔自分も手伝ったことがある)
私:「もしかして・・・青山さんがやられているクレープ屋さんですか?」
若い衆:「え、ぇぇ・・・」
何とも微妙な返答で、仕込みの真っ最中で忙しそうだった(ちょっと迷惑な雰囲気を感じ取ったもので)ので会話はこれで終了し、中を撮影させて頂く事に。
(どうせだったら「チャンピオンを輩出したジムの昔の場所を取材に来た記者です」とかはったりかませばよかったな・・・)
ジム入り口場所
左にトイレがあった、後に会長が給湯器と混合水栓(分かりやすく言うと水とお湯が使える蛇口)を取り付けてくれてトイレ兼シャワー室(今もそうだが)になった。
練習後シャワーを浴びる事が出来るようになり喜んだ記憶が蘇ってきた。
ちなみにトイレは和式便器で自分は和式便器をまたいでシャワーを浴びておりました(恐らくみんなそうだったのでは(笑))。
なんとその混合水洗は現在も(現ジムにて)現役で活躍中。

階段部分 
昔は蛍光灯のある辺りと階段手前辺りにサンドバックを2つ吊していた。
(11/7・管理者記で書いたボルトの飛び出たサンドバックもこの頃からあった)

階段部分
昔は右に電話をおいてあった(確かピンク電話だったかな?お金入れるやつ)
黄色い(黄ばんだ)柱辺りにもう一つのサンドバックを吊していた。

2F
2F階段あがってすぐの部分・・・荷物に埋もれたキッチンキャビネットがかろうじて昔の面影を残している。


2F 人が立っている辺りが三角の先端つまり1Fの入り口部分
2Fはなにやら冷蔵保存庫があり、クレープに使う食材が保存されているようだ。
しかし、あの冷蔵庫がある辺りは昔はロッカーで仕切って、試合前に会長が寝泊まりしたり、なんとソムチャーイ高津さんが住まわれていた事もあった・・・。
 
当時は会長達有志が雨風をしのげる練習場所と言うことでこのジムを建てたが、本当に雨風をしのぐのみの建物であり、夏は暑く冬は寒いという季節に素直なジムでした。
特に夏はジムを閉めきった翌日、ジムに一番乗りした時は地獄の暑さだった。
2Fはビニールの床だったので、室内の温度が下がるまで熱くて裸足で歩けない時もあった(マジで)。
しかもこの狭いスペース、スパーリング中に相手を蹴ろうとして、壁を蹴ってしまい板を突き破り足を骨折する人も居たなあ・・・(しかもそれで試合に出られなくなった)
ちなみにジムの大鏡は現ジムで活躍中・・・無数のヒビが歴史を物語る。


横の坂道からのショット と 「PaPa CRAPE」の移動販売車

もう少し長居をして感傷に浸りたい気分だったが、CASS興業もありすぐに退散する事に・・・・。
クレープ屋さん従業員の方にお礼を言ってジムを後にした所・・・
若い衆:「なんだったんだろうね・・・」
という話し声が・・・・(まだ近くにいるぞ!聞こえとるぞ!!)。
現在は(恐らく)青山先輩の経営する移動クレープ屋「PaPa CRAPE」の発進基地・・・仕込みの場所になっているようだ。
この青山先輩、思えば昔、品川の水族館にいい場所があると、それまで何も予備知識が無いのに(他のクレープ屋に行き、作っている所を強引にビデオで収めて、独学で学んだらしい・・・昔から凄い人だったんです)クレープ屋を始め(テキ屋等の経験あったらしいが)、当時は自家用のバン1台に材料を詰め込み行なっていた・・・(当時は室川さんが良くかり出されていた・・・自分は結局一回しか手伝う機会なかったが、「○○(自分の事)には逃げられたからな・・・(笑)」と今でも言われる・・・)。それに今は(目の前に止まっているのを見ただけなのでもっとあるかも)4台の車を使っている。池袋周辺でも結構見かける・・・。以前紹介した「タイラーメン青山」も好評らしい・・・。
町中でこの「PaPaCRAPE」を見かけた方は、「ああ、このクレープは旧小国ジムで仕込まれているのだな・・・」と思ってもらって間違いない。

雨風しのげると言ったが、現在の池袋に移転する少し前辺りから、雨が降っては雨漏りがして、風が吹いてはすきま風が入り、雨風もしのげない場所になりつつあった・・・。

 しかしこうして約十年ぶり位に中に入ってみると、光景は変われど辛かった思い出、(その辛さを乗り越えた上での)楽しかった思い出、そして一緒に頑張った(今も頑張っている方も含め)人達が数々と浮かんできた・・・。
ジム中身は変われど、私の心の中の「旧小国ジム」の思い出はいつまでも変ることはないのだな・・・永遠に・・・・
と感傷に浸りながら足早にジムを後にした
・・・・・・こんな事を考えながらCASSに戻る途中また間違って行き止まりの道に行ってしまった。
(こんなことも変っとらんのだな自分は・・・・)


おしまい