誇り高き新チャンピオン 大槻直輝 Interview by Kanoko.

 

 

20091018日。

ディファ有明の碧いリングの上で、緑のチャンピオンベルトを腰に巻いた男。

OGUNI-GYM 5人目のチャンピオン、WBCムエタイルール・フライ級日本統一王者、大槻直輝。

派手な衣装やビッグマウス、自己主張こそがスター性と勘違いされつつあるこの時代に、実力のみで頭角を現した新王者。

厳しい練習によって磨かれたセンス溢れるファイトスタイルは、他の誰にも真似できない真のパフォーマンスだ。

 

「球技が苦手だったら始めた学生キック

おとなしい少年から学生チャンピオンへ」

 

「球技が苦手だったから中学の頃は体操部、高校の頃は剣道部に入っていました」

どちらかといえばいじられキャラ、派手で目立つタイプではなかった大槻選手がキックボクシングを始めたのは大学生になってからのことだ。
当時、ブラウン管を通して目にした格闘技、それは
K1

 「始めは試合をする気はぜんぜんなかったんですよ」

日大のキックボクシング部に入部し、仲間との練習を積み重ねるうちに、試合に出る話がめぐってくる。

 「最初は二年生(2002年)のときに新空手の60kg以下のトーナメントに出ました。
初めての試合はパンチをいっぱいもらっちゃって、試合の後に熱が出ちゃったんです(笑)。負けちゃったし、すごく疲れたし――」

しかし、ここから大槻選手のキックボクシングとの真剣な付き合いは始まる。
翌年の
2003年、キック歴3年で大槻選手は学生キックのチャンピオンへと躍り出る。

 「でも、翌年の2004年のトーナメントでは決勝戦で負けてしまいました。最初に一気に前に出たら、いいパンチをもらっちゃって。
1R2
回ダウンを取られちゃったんです。そのあと盛り返しましたが結果はドロー。優勢判定で自分が負けました」

K1に憧れて始めたキックボクシング。
そこで大槻選手は、初めての敗戦と初めての勝利、頂点とそして目前で頂点を取り逃がす悔しさ、選手としての全ての経験を味わったことになる。
プロフィールでは学生チャンピオンである点ばかりが取りざたされるが、
実は結果的に目前で王座を取り逃がしてしまった
2004
年のトーナメントこそが、新王者・大槻直輝を生み出す大きな転機だったのかもしれない。

 

 

「自分が唯一誇れるもの それがキックボクシング」

 

2004年のトーナメントが始まる前、より自分を鍛えるため大槻選手はジムに通う決意を固めた。

 「学生キックにもトレーナーはいるんですけど、毎日いるわけじゃないから、結局は学生同士で教えあうような形になっちゃうんです。
2004
年に試合した対戦相手にジムに通っている人がいて、自分もちゃんとジムに入ろうって思ったんです」

ジムを数件見学して回り、最終的に大槻選手が選んだジムが、ここOGUNI-GYMだった。

 「AJジムとかターゲットとか見学いきました。そう言えば、その2年前、新空手に出る前に一度、建武館にも見学に行った事があるんですよ」

そこにいたのは、OGUNI-GYMでトレーナーを務める、パイブーン・フェアテックスだったそうだ。
※パイブーントレーナーは現在でも建武館で週に
2
回指導をしている。

 「建武館で体験入門をしたら、いきなり先生に滅茶苦茶にされたんです(笑)。
これがプロのミット、タイ人トレーナーのミットなんだと驚きましたよ。
その
2年後、2004年にOGUNI-GYMに入門を決めたわけですが、OGUNI-GYMに行ったらまたあの怖いタイ人がいたからビックリしました(笑)。
あれ!? あの人……まさか……間違いない!!……って」

大学を卒業した大槻選手は一時期就職をしていたが、プロキックボクサーになる決意をする。

 「やっぱりキックは、唯一自分が誇れることだったから」

学生チャンピオンからプロキックボクサーへ。大槻直輝の栄光の日々が始まる。

 「キックをやっていなかったら? 普通に会社員だったと思いますよ」

 

 

 
デビュー当時・・・まだあどけなさが残る(笑)

 

「憧れているのはTOMONORIさん

でも 強敵もTOMONORIさん(笑)」

 

学生時代、そのずば抜けたセンスで頂点を極めていた大槻選手は、練習で仲間に倒された経験が無かったのだと言う。

 「OGUNI-GYMで練習をするようになって、TOMONORIさんと、中須賀さんに初めて倒された(笑)。プロって違うなって実感しましたね」

2005109日。大槻選手はOGUNI-GYM自主興行でデビュー。終始試合をリードし、デビュー戦を圧勝で物にする。
 


2005.10.9 デビュー戦勝利後


その後、
2戦目、3戦目と勝利を重ね、初めての敗戦は4戦目の対 久保賢司戦だった。

 「連勝中だったこともあって、最初からガンガン行こうと思っていたのですが、逆にかわされてしまう試合展開でした。
途中で劣勢だな、やばいなって思ったんです。だから、最終ラウンドに倒しに行ったら肘を合わされちゃって。」

結果は肘打ちを被弾したことによる出血で3RTKO。その後、再び白星を重ね、5回戦へ昇格。
ところがランカーとなって
2
戦目の対中西戦で再び苦い経験をする。

 「中西選手との試合は印象に残っています。
初黒星は久保選手だったんですけど、それ以上に、中西選手に負けた試合は印象的なんです。
あんなに効かされて、あんなに明らかに負けた試合は僕自身初めてだったから……」

中西選手のローキックによるダメージを受け、反撃することもままならず判定負けを喫する。
明らかな敗戦だったが、最後まで戦い抜いた大槻選手を認める声も多かった一戦だ。

友人でコーチの国分コーチは

「試合は負けたけど、気持ちの強さを感じた試合だった。直輝ってこんなに気持ちの強い選手なんだなって思ったんですよ」

と、評価する。おとなしい見かけによらぬ負けん気と、キックに対する高き誇り。
大槻選手はすでにチャンピオンにふさわしいハートを兼ね備えていたのかもしれない。

 


管理者が印象に残った内の一つ 
RISEに参戦し勝利した時の海パン姿(笑)

 

「あこがれの選手はTOMONORIさんです。
スピード、テクニック、パワー全部揃っていて、なんでも出来る。本当に凄いですよ。あんな風になりたい」

大槻選手の主戦場は憧れの大先輩TOMONORI選手が絶対王者として君臨していたフライ級。
一方で
TOMONORI選手もまた、大槻選手の実力にいち早く目をつけていたメンバーの1
人だ。

「オレのフライ級のベルトを受け継ぐのは、大槻だと思う」と、当時フライ級王者だったTOMONORI選手は語った。
もしかしたら
TOMONORI
選手が大槻選手を練習で倒したのも、その素質を見込んでのことだったのかもしれない。

「ライバルですか……。ライバルと言うか強敵は……TOMONORIさんですね(笑)」


TOMONORI選手を目標とするOGUNI後輩選手は多数

 

「過去の栄光に甘んじるのではなく 常にプロとして前進し成長する」

 

大槻選手に「印象に残っている試合を3つ」とたずねると、真っ先に前出の敗戦2試合が出てきた。
王者になるまでに
11試合、内敗戦は3試合。敗戦から得るものと言うのは確かに多い。
大槻選手は敗戦で得た教訓を受け入れる素直さも兼ね備えているのかもしれない。
もしかしたら、それさえ認めたくないほどに負けん気が強いのかもしれない。
自らの性格を、「喜びを素直に表現できない」と分析していた大槻選手ゆえの“ツンデレ”なのかもしれない。
しかし、印象に残っている試合の残り
1
試合は、勝利した試合を選んだ。

 「今年5月の三好戦ですね。本当ならチャンピオンになった試合を選ぶべきなのかもしれないけど。
実はこの頃、自分はファイトスタイルを変えようと考えていました。
蹴り方、構え方、いろいろなことを意識的に変革していて、それがきちんとできた試合がこの一戦だったんです」

プロとして必要なことは何か。
先輩を手本にし、トレーナーからの指示を仰ぎ、過去の栄光にすがるのではなく、自分自身を成長させる道を選んだ大槻選手に訪れた勝利。
この時点で戦績は
963敗。
自分の成長と変化の手ごたえが残る状態で挑んだ
10戦目は、WBCムエタイルール日本統一王者決定トーナメントの準決勝。
対戦相手は
MAチャンピオン飛燕野嶋選手。
MA
のチャンピオンを相手にアウェーでの戦い。トレーナー陣も考えうる全ての可能性に備えて戦いに挑んだ。

 試合は大槻選手が優勢に試合を進め、最終ラウンドに1回のダウンを奪う。
本人はダウンではないのではないかと、あくまでも冷静だが、結果見事な判定勝ちを納め、決勝戦へと駒を進めた。

この間の大槻選手の成長は目覚しかったと、高津トレーナーは回想する。
高津トレーナーとのミットではワンツーからの右ローキック、続けて左ミドル、すぐさまトレーナーの返しを前蹴りで制御――こんなことが、当たり前にこなせるようになった。また、練習パートナーにも恵まれた。

OGUNI-GYM
でもトップレベルの突進力を持つ真二選手とマススパーを行えば、真二選手の猛烈な突進を絶妙な前蹴りで止めることができるようになった。
決勝戦が近づいてからは、岩井伸洋選手とのマススパー。岩井選手は持ち前の高い集中力で試合さながらのプレッシャーをかける。
スーパーフェザー級の岩井選手のかけるプレッシャーを体験し、大槻選手はまた成長する。

大槻選手は常に謙虚に、そして真摯に練習に取り組む。
体調を崩したり、怪我をすることもあったが、そんな時は心の支えになる友人がケアをしてくれる。
大槻選手のデビュー前から、先輩としてコーチとして、そして友人として。
常に歩んできた国分コーチは、大槻選手を語る上で忘れてはならない存在だ。

「国分さんは、ぶっちゃけただの友達です。すごく甘やかしてくれる。下の世話以外はなんでもするって言ってくれてます(笑)。
でも、だからこそ練習の相手とか頼みやすいし、いてくれるとありがたい」

 


国分さんは・・・下の世話以外はなんでもするって言ってくれてます

 

 

「デビューから11戦目 めぐってきたチャンスを我が手に」

 

 

ジムメイト、トレーナーが一丸となって迎えた大槻選手の11戦目は、WBCムエタイルール日本統一王座決定トーナメントの決勝戦。

大槻選手より先に、憧れの大先輩TOMONORI選手が同タイトルのバンタム級チャンピオンに輝く。

TOMONORIさんに続きたい」

大槻選手は冷静に、練習で教わったこと、そしてこれまでに培ってきたキックボクシングの基本を丁寧に、丁寧に試合で発揮する。

初めての黒星で味わった、気持ちで前へ行くだけでは勝てないという経験、

そして自分を律するがごとく意識的に変えてきたファイトスタイル、すべてが無駄なく実践に生かされている。

 練習どおりのワンツーからの右ローキック。そして得意技だという左ミドル。

首相撲を仕掛ようと距離を詰める対戦相手の動きを封じる前蹴り。

さらには、対戦相手の得意技である首相撲までも制し、試合は大槻選手のペースで進んだ。

3R、セコンドから左のパンチが入ることを指示されると、機転を利かせワンツーからパンチではなく左の縦肘を繰り出す。

相手が前に出てくるタイミングに見事に合わせた肘打ちは、ガードの隙間を縫い眉間を深く切り裂いた。

流血した対戦相手はドクターチェックを受け、そのまま続行不可能の指示。

大槻選手は3RTKOにてWBCムエタイルール・初代フライ級日本王者の栄冠を手にした。

 

「最初は自分なんかがチャンピオンになるなんて思ってもいなかったんです。
でも準決勝で勝って自信がついたし、何より周囲の人が色々と協力してくれて“チャンピオンにならないといけない”って思うようになりました。
トレーナーにも“チャンピオンにならなかったら殺す”って言われてたし(笑)。
まぁ、それは冗談ですけど、勝たなければならない試合だと思って挑んだので、勝ったときは正直“ホッとした”という感じですね」

 

 

信頼する 国分・高津 両氏と

 

 

新王者・大槻直輝の誕生。
しかし、「自分はまだ実力不足なので」と謙虚な姿勢は変わらない。

「まずは他団体のチャンピオンと戦いたいです。
もちろん、タイ人とも戦いたいですけど、いきなりランカーと戦うほどの実力がまだないと思うので。
でも、もしそのチャンスがあるのなら勝ち負けに関係なく経験を積みたい」

大槻選手にとっては、プロでの王座獲得も通過点に過ぎないようだ。
自分は発展途上で、もっともっと経験を積みたいと言い切るその姿勢には、完全なる強さを求める崇高な志を感じる。

 

誇り高きチャンピオンは、常にその高みを目指し続ける。

 


これからの大槻 直輝にご期待ください!

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